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今年の12月23日で父の一周忌を迎えた。
思い起こせば昨年の7月の終わりに母からの電話で 母 「父ちゃんあと3ヶ月位らしいわ…ガンでもう、あちこち転移しちょって手遅れらしいわ…」 俺 「そうな…わかった。」 母 「父ちゃんにはガンて言わんで胃潰瘍で通すきな。」 俺 「わかった。」 わかったとは言ったものの気が動転している自分がいる。 現実を受け入れる事が出来ない自分もいる。 車を運転しながら大粒の涙があふれ出ていた。 あれほど嫌いな父のはずなのに… それから11月の中旬にお見舞いに行った。 本当はもっと早くに行かないといけないのだろうがどんな顔をして行けば良いのか分からないし現実が信じられなくて行けなかった。 病室の10メートル位手前に差し掛かった時、病室から父が出てきた。 その姿は点滴を引きずりながらも とても元気だった。 父 「お~○○(俺の名前)やねぇ~か~久しぃ~の~ 元気しちょったか?」 俺 「あ~うちは何とか元気しちょんで」 父 「今からメシなんじゃけど談話室に行こうや」 俺 「うん」 談話室にて 父 「最近仕事は忙しいか?」 俺 「うん、何とか頑張りよん!それより体の方はどうなん?」 父 「子供らはプリン食うかの?」 子供の方を見て笑っている父。 俺 「食べるけど・・・」 相変わらず話聞いてね~なぁ 父 「最近はあんまりメシが食えんようになった。脂っこいもん食ったら全部吐くし、時々胃がぎゅーっと痛むんじゃ!なんか悪いわい」 俺 「そりゃ大変やなぁ、でもしっかり食べて、はよ元気になってもらわんと困るなぁ~」 父 「そうなんじゃ、家帰ってせんといけん事がたまっちょんのじゃ、ばあさんからいっつも言われるんじゃ」 俺 「母ちゃんウルセーきな!もうご飯やろ!もう帰るわ。家にも寄らんといけんし」 父 「そうか!ワリィのぉ又来ちくり~」 俺 「ああ、またな!」 自分の事より俺の心配をしてくれてる。 それから退院し自宅養生になった。その時も家にお見舞いに帰った。 その夜に母より電話があり 母 「今日あんたたち帰って、じいさん泣きよったで!」 俺 「なんで!」 母 「帰り際に詩織(俺の子供)がな「じいちゃん早く元気になってな!」って言われたって泣きよったで」 俺 「そうな…」 母 「今度、入院する時はあぶねぇ時っち、お医者さんに言われたき覚悟しちょってな」 俺 「ああ」 12月に入りちょっと具合が悪くなり病院に運ばれた。 それからちょっと元気になり、いつも帰りたがってたらしい。 21日に一時帰宅の予定だったが18日にお医者さんから許可が下りなくなった。 22日雪が降ってとても寒い日だった。 俺は仕事をしていた。夕方の4時過ぎだった。 携帯に公衆電話の文字が…出てみると姉からだった。 姉 「○○(名前)父さんの具合が急に悪くなったから、はよ帰って!」 俺 「わかった、準備して帰る。」 すぐさま奥さんに電話をする。帰る準備をするようにと。 雪が降っていつもの近道が出来ない。安全策をとり遠回りをする。 病院に着いたのが夜の8時過ぎだった。 病室に入ると俺は異様な臭いを感じた。 父の姿は元気な姿じゃなく痙攣(けいれん)を起こしているような姿だった。 ベッドに寝ているのに肩が上がり、首は後ろにそり背中が浮いていて苦しそうだ。 目は開いたままで意識は無い。呼吸が荒い。母と姉が声を掛けるが何も反応が無い状態だ。 母と姉は看病で疲れていた。食事を取るため病室を出た。 俺一人で付き添いになった。 俺が父ちゃんに話しかけてみた。 俺 「父ちゃん!俺や○○や!父ちゃん来たで!「父ちゃん、よく二人でうなぎ釣りに行ったなぁ~懐かしいなぁ~入田とか佐伯にも行ったなぁ~」と話しかけた。 父 目がキョロキョロ動いて首が動いて俺の方を探している。それから俺の方を見て何かしゃべろうとしている。 今まで動かなかったのに 俺 父の冷たい手を握り「もういいで!無理にしゃべらんで言いで!言いたい事は大体分かる!後のことは全て俺にまかせなぁ!父ちゃんはもうゆっくりしよ。今まで頑張って来たんやきな!」 父 「…」もとの姿に戻る。 俺 「…父ちゃん今まで言えんかったけど…親不孝でごめんな、育ててくれてありがとうな。感謝しちょんで!大好きやきな!」 この時、偶然なんだろうけど父の目から涙がこぼれたような気がした。 母と姉が帰ってきてさっきの出来事を話すと… 姉 「よっかたなぁ、あんたの声が届いたんやなぁ」との事。おれはこの時決心した。絶対に泣かない、そして父の葬儀を立派に終わらせると… それが親孝行になるだろうと信じて! 朝の3時頃に姉から起こされ「お父さん、もうヤバイは・・・一緒に声かけて」 母と姉が声を掛けている。 母 「あんた、私一人置いて何処に行くつもりな!」と父をゆする。 姉 「父さん、父さん。○○あんたも声掛けよ」 俺 口には出さずに「お疲れ様。もうゆっくり休みよ」 父の息は次第にゆっくりになっていく「ハッハッハッ」から「ハー、ハー、ハー」に変わり「ハー・・・ハー・・・」と間隔が開いていく…母と姉は泣いている。 俺は目をしっかりと開けて親父の死ぬ姿を目に焼き付ける。 呼吸がどんどん小さくなっていく。「ハッ・・・」「ハッ・・・・・・」どんどん間隔が開く。 そして2005年12月23日午前3時30分頃…父の息が止まった。 止まったと同時に父の肩と首の力が抜け首が傾き目から一粒の涙がこぼれた。 それから父の兄弟や親戚一同に連絡をした。 大阪の長女にも電話をした。電話の向こうで静かに泣いていた。 母と病院を出た時とても寒かったのを憶えている。地面が凍って歩くのもまともに歩けない状態だった。 それから葬儀屋さんが来て通夜と葬儀の打ち合わせなどやった記憶がある。 長女が帰ってきて父のそばで大声で泣いていた。「父さん、ごめんな」と言いながら… 通夜と葬儀にいっぱいの人が来てくれた事、棺の中にみんなが花を入れてくれる姿、そして僕が父の好きだった百合の花を持って父の胸の上においた事、火葬場での母の泣き崩れる姿、父の骨の事など色々思い出す。 俺は最後まで泣かなかった。何度も泣きそうになったが泣かなかった。最後の供養と思って。 八月 初盆 俺が小さい頃からお世話になっている時計屋さんが来てくれた。 時計屋さんが帰り、母が急に思い出し、父の壊れた時計を出してきた。 俺はそのまま、さっき来た時計屋さんに持って行き修理をお願いした。 セイコーアクタス約30年前の時計です。 今では唯一の形見になりました。 しっかりと時を刻んでくれてます。 父ちゃんの人生が幸せだったのか、どうかもわからない。どんな生き方をしたのかもわからない。 父ちゃんの事で覚えているのは貧乏だった事。でも楽しかったこと家族を大切にしていた事… つい先日、俺が「おはぎを食べたいと言った」ら奥さんから「それはあんたの父ちゃんが食べたがっちょんのやわ」と言われた。確かにおはぎが好きだった。 もし願いが叶うなら・・・もう一度、話がしたいです。 父ちゃん、親不孝でごめんな。 時計は俺が大切に持っています。大好きだよ。そして育ててくれてありがとう。感謝です。
by taisyo1008
| 2006-12-24 22:02
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